世界にはいくつ言語があるのか、という問いから始まった話が、思ったより遠くまで転がったので整理しておく。
まず、数が確定しない
一般的な答えは「およそ7,000」。最もよく参照されるEthnologueというカタログでは、近年7,100〜7,200前後で推移している。ただしこの数字は毎年動く。理由は2つある。
ひとつは、言語と方言の境界が曖昧なこと。中国語を1つと数えるか、北京語・広東語などを別々に数えるかで数百単位の差が出る。相互理解可能性は連続的なもので、明確な閾値はない。
もうひとつは、調査の粗密。パプアニューギニアやインドネシアのような言語密度の高い地域では、新しい記述が出るたびに分割や統合が起きる。パプアニューギニアだけで800以上の言語があるとされる一方、上位20言語ほどで世界人口の半分以上をカバーする。分布は極端に偏っている。
AIで解決するのか
技術面はかなり進んだ。音声からの言語識別は4,000言語規模のモデルが存在するし、語彙の類似度計算や系統樹の推定も自動化が進んでいる。フィールドで録った大量の音源を仕分けるだけなら、以前とは比べものにならない速さになった。
それでも数は確定しない。壁は2つ。
データがない。 7,000言語のうち、大規模なテキストや音声データが存在するのはせいぜい数百。カウントが揺れているのはまさにその長い裾野の部分であって、そこにはモデルに食わせる素材そのものがない。結局は現地で録音し記述するところから始まる。
線引きは発見ではなく決定。 仮に全言語の類似度が精密に測れたとしても、どこから別言語とするかの閾値は誰かが決めるものだ。スウェーデン語とノルウェー語は通じ合うのに別言語とされ、中国語の諸方言は通じないのに一つとされることが多い。これは政治と自己認識の問題で、モデルが客観的に裁定できる性質のものではない。
つまりAIは候補を洗い出す速度を上げるが、いくつと数えるかの答えは出さない。
では、現地で音声を集めれば会話できるようになるか
ここも一段飛んでいる。
音を単位に切り分けて、その言語らしい音の並びを再現するところまでは、対訳なしでもかなりできる。教師なし音声モデルは書き起こしのない録音から擬似的な単位を学習する。「その言語っぽく喋る」だけなら手が届く。
足りないのは意味の対応づけだ。会話するには、発話が何を指しているかの手がかりが要る。これは波形からは出てこない。必要なのは翻訳者付きの録音、映像と紐づいた発話、既訳のテキストといった、意味と結びついたデータになる。少数言語の研究で聖書翻訳が繰り返し使われるのは、それが数少ない大規模対訳資料だからだ。
必要量の目安はこのあたり。
- 数十時間の対訳なし音声 → 言語識別、音韻の記述支援
- 数百時間+書き起こし → 実用的な音声認識
- 数万文規模の対訳 → 翻訳・対話
近縁の言語に大規模モデルがあれば、転移によってこの要求量は下がる。逆に孤立語や系統不明の言語では下がらない。そして数が揺れている裾野の言語は、話者が数十人しか残っていないケースも多い。数百時間の録音を取る時間的余裕がそもそもない。
文化的な情報は取り出せるか
「彼らはリンゴを好む」「生贄という概念がある」といった情報が音声から取れるか、という問い。前者は難しく、後者はまだ手がかりが残る。
取り出しやすいのは、語彙の存在と頻度、語の共起構造、場面ごとの語彙の偏りあたり。意味が分からなくても、ある音形が繰り返し現れることや、Xが出るときYも出やすいという関係は分布から取れる。特定の録音にだけ現れる語彙群があれば、場面との対応も推定できる。
壁になるのは、語彙空間の「形」にラベルを貼る段階だ。ある語が果物カテゴリに属することまで分かっても、それがリンゴなのかマンゴーなのかは、指差しや映像や翻訳者なしには決まらない。記号接地の問題そのものである。
「好む」の方はさらに厄介だ。ある語の頻度が高いことは、好みの表れかもしれないし、主食だからかもしれないし、儀礼上重要だからかもしれないし、禁忌ゆえに言及が多いのかもしれない。頻度から態度は読めない。
抽象概念の方が比較的マシなのは、単独の語より周辺の構造に痕跡を残すからだ。特定の場面でだけ現れる語彙のまとまり、動作を表す語との結びつき、儀礼的な韻律やレジスターの切り替え。「この共同体には特別に区別された儀礼的行為があり、動物の語彙と結びついている」あたりまでは、音声と映像から推定できる。ただしそれが供犠なのか、共食なのか、屠畜の作法なのかを分けるには、話者への聞き取りが要る。
まとめ
AIは「ここに何か文化的に重要なものがある」と当たりをつけるのが得意で、それが何かを確定させるのは人間の仕事、という分担になる。言語の数についても同じで、候補の洗い出しは加速するが、境界を引く判断は残る。
自動化されたのは探索であって、決定ではない。