息子の持病の手術で、妻と息子が2週間入院することになりました。
もちろん心配だし、お見舞いにも行きます。ただ正直に書くと、心配とは別のところで、こう思っていました。「久しぶりに自由時間が大量にできるぞ」と。
妻が妊娠してから私の自由時間はほぼゼロで、ずっと家事をしている感じでした。息子が生まれてからはさらに厳しくなって、正直「人権ないな」と思う時期もありました。だんだんマシになりつつも、息子は大きくなれば手がかかる。保育園の送り迎えは私、ご飯も作るときは私、お風呂は毎日私。疲れはずっと溜まっていました。
そこに2週間。3人家族が1人になるんだから、家事も1/3になるはずです。土日は近場に日帰り旅行でもして、その帰りにお土産を持ってお見舞いに行く、みたいな生活を想像していました。
結論から言うと、家事はまったく減りませんでした。そして減らなかった理由が、自分でも思っていた以上にはっきりしていたので、記録として残しておきます。
減らなかったもの、減ったもの
生活スタイルが変わること自体にコストがかかる
まず猫です。うちは猫を3匹飼っていますが、これは元々妻が「飼いたい」と言って飼って、世話も妻の担当でした。餌やり、水替え、トイレ掃除。私はたまに手伝う程度。
それが全部こっちに来ます。作業自体は大したことないんですが、問題は自分の生活の中にそのルーティンが存在しないことです。どのタイミングでやればいいのか分からないし、普通に忘れる。餌は猫が催促してくれるからいいんですが、トイレ掃除はつい忘れます。
これは1週間くらいで体に入ってルーティンになりました。ついでに、妻のやり方だと自分には都合が悪い部分をカスタムしました。餌場は1階と決まっていたんですが、1階だと忘れがちなので2階に移動。そっちの方が清潔でもあります。
妻はこういう改善が苦手で、一度決まったことをそのまま続けるタイプです。逆に言えば、一度決まったことに不満を感じない性格の良さがあるということでもあります。
自動化済みのものは、そもそも減りようがない
掃除はロボットが9割やります。ロボットじゃダメなところが思いつかないレベルなので、家族が減っても何も変わりません。
洗濯も乾燥機まで一体なので、入れてボタンを押したら終わり。私は畳まないので、乾燥機から出してそのまま着ます。妻は畳みたい人ですが、私には畳む必要がない。よって、これも何も変わりません。
つまり、楽になる余地はすでに自動化で先食いしていたわけです。
手動で残っている部分は、頭数に比例しない
送り迎えがなくなったのはうれしいんですが、朝は結局、猫の餌、猫まわりの洗い物、トイレ掃除があるので、それなりにダルいです。
ゴミ捨ても戻ってきました。元々は私の担当でしたが、送り迎えを引き受けたときに妻に移していたやつです。普通に出し忘れました。ゴミって、集めるのが案外めんどうなんですよね。妻がやってくれていた理由がよく分かりました。ゴミの量自体は1/3になったので、捨てるのは楽です。
食洗機も発見がありました。「1/3になったんだから2日に1回でいいだろう」と思っていたら、想像より一気に溜まります。手術前で緊張していて食器どころじゃなかった日があって、シンクが山盛りになりました。
結局、1人でも食洗機は1日1回回さないと回らない。朝起きて猫の対応をして、食洗機を空にして詰めて終わり。ピッチャーやフライパンは手洗いが必要なので、食洗機1回+手洗い1回で1日分です。
ということは、3人暮らしのときも実質1日1回だったんですよね。妻がもう1回回すので、夫婦で2回。しかも妻は手洗いを一気にやりたいタイプなので手洗いもしていた。つまり今の私は、3人暮らしのときより洗い物をしているということになります。
トイレや風呂などの細かい掃除は、毎週家政婦さんに来てもらっています。今回は有料ですが、それでも来てもらってその時間に仕事をする方が得だと考えています。これも家族がいてもいなくても変わりません。ただ一つ変わったのは、家政婦さんの対応窓口が私に戻ってきたこと。元々は私がやっていたんですが、説明が伝わらないし英語も話さないといけないしダルいので妻に任せていた部分です。これが地味に大変。
新しく増えた仕事:お見舞い
そして何より、息子に会いたい。休みが取れれば会いに行きます。
病院は日医大なので、葛飾から行くと空いていて片道30分、混んでいれば片道1時間。
向こうに着くと、息子は手術の影響であまり動いてはいけない状態です。でも子供に「安静」は通じないので、大人がそばにいるしかない。抱っこすると喜んで落ち着いてくれるので、私はひたすら抱っこ役をやります。その間に妻はお風呂に入ったり買い物に行ったり、気分転換をする。
2時間くらい抱っこするので、腕がしっかり筋肉痛になります。往復の移動+2時間の肉体労働。体力の消耗としてはそこそこです。
それでも会いたい気持ちが勝つので行きます。これは減らす対象ではないし、減らしたくもない時間です。
減ったもの:食費
一方で、スーパーで買う食費はジャストで1/3になりました。
息子には高いパンを買ったり、ホットクックで幼児食のオムライスソースを4倍量まとめ作りして冷凍ストックしたりしていました。妻には妻でまた別のものを作ります。大人向けなので簡単ではあるんですが、それでも一食分は一食分です。
これが私1人になると、本当に適当でいいんです。食パンにハムを乗せて食う、ご飯にウインナー2本乗せて食う、ご飯にマヨネーズと醤油、豆腐とご飯、あとはそばかパスタ。それで酒を飲んでいれば成立します。
代わりに外食とデリバリーは増えました。夜に誰のご飯も作らなくていいので暇になり、飲み終わってから締めのラーメンやバーガーを食いに行ったりします。あとロケットナウ。Uber Oneに入っているのに、ロケットナウの方が安いという現象があって、私はロケット派になりました。とはいえベースが1/3なので、トータルでは圧倒的に安く済んでいます。
ここで一つの法則が見える
食費は人数に正確に比例して減りました。家事はほとんど減りませんでした。
理由は単純で、食費は「人」に紐づくコストで、家事は「モノ」に紐づくコストだからです。
人が2人減っても、猫は3匹いる。食洗機は1台ある。ゴミは出る。トイレも風呂もある。家政婦さんへの説明は必要になる。家の中のモノの数は、住人が入院しても1個も減らない。だから家事も減らない。
そして減らなかった時間で私が何をしていたかというと、日常が忙しいせいで棚上げしてきたタスクを片付けていました。捨てなきゃいけない家具、家電、その他もろもろ。やらなくても死なないけど、やらなきゃいけないこと。せっかくまとまった時間ができたので、土日はずっとそれをやっていました。
で、その棚上げタスクを一つずつ見ていくと、全部過去の自分が何かを買った結果なんですよね。
「持つ」ことは「捨てる」こと、の請求書が届いていた
以前、「持つ」ことは「捨てる」こと。生活コストと所有の哲学という記事を書きました。ものを買う瞬間に「いつかそれを捨てる」責任を背負っている、という話です。
今回の2週間は、その考えの答え合わせみたいなものでした。
買った時点では、支払ったのはお金だけのつもりでいます。でも実際には、その時点で未来の自分の時間も前払いさせられている。ただ請求が来るのが数年後なので、買った瞬間には気づかない。今回まとまった空き時間ができて初めて、過去に買ったものの請求書が一気に届いた、という感覚でした。
メルカリで売らないといけない家電もあります。でも「売る」という作業が発生している時点で、買ったのが間違いだったということです。いらないから売るわけなので。生活スタイルが変わって手放すものならまだ分かるんですが、今回のはそうじゃない。買った時は必要だと思ったけど、よく考えればなくてもよかった、ただの自己満足だったな、というものです。
もし私がこの考えにもっと早く気づいていて、そのつど買わずに済ませていたら、この2週間には本当に自由な時間があったはずなんですよね。日帰り旅行にも行けたと思います。あの2週間の自由時間は、入院で生まれるはずだったのではなく、過去の私がすでに使い切っていたということです。
買っていいもの、買わなくていいもの
とはいえ、全部買うなという話ではありません。前の記事に書いたとおり、モノには「冷却装置」として機能するものがあります。バイクと車を手放さないのはそれが理由です。
今回はっきりしたのは、もう一つの買っていい枠があるということです。家事そのものを減らす装置。
事務所のロボット掃除機が壊れたとき、1ヶ月悩みました。それまで自分で掃除機をかけていましたが、しんどい。結局2万円くらいのよく分からないメーカーのものを買ったんですが、これがめちゃくちゃ楽。日本語の発音がおかしいのが気になりますが、部屋を出るときにボタンを押すだけで終わります。たまに巣に戻れていなくても、掃除してくれるだけで十分です。ロボット掃除機、洗濯乾燥機、食洗機、この3つが今回「家族が2人減っても家事が減らなかった」原因であると同時に、「3人いた頃でも私が壊れずに済んでいた」理由でもあります。
逆に、冷却装置でも省力装置でもなかったものは、ただの請求書になります。私の場合は息子用に買ったタブレットでした(これは過去記事に書きましたが、完全に失敗でした。しまじろうも結局見られなかった)。
今でも「これ欲しいな」と思うものはあります。でも大体、100回欲しいと思って99回買わなくても何も困っていない。その時は「なんで買わないんだ」と思うんですが、2週間も経つと欲しかったことすら覚えていません。買わなかった99回は、そのまま未来の自分の自由時間として残っています。
まとめ
3人家族のうち2人が入院しても、私の生活は楽になりませんでした。
- 減った2人のうち1人は大人=戦力だった
- 量に比例する家事はすでに自動化してあったので、減らす余地が最初からなかった
- 残った家事は「人」ではなく「モノ」に紐づいていたので、住人が減っても減らなかった
- 空いた時間は、過去に買ったものの後始末に吸われた
日帰り旅行は行きませんでした。心配だし、その時間があるなら息子に会いに行くので。でも仮に心置きなく遊べる状況だったとしても、たぶん時間は残っていなかったと思います。それは入院のせいではなく、何年も前のレジで自分が使ってしまっていた分でした。