「AIの発展で人が働かなくなる時代が来る」とよく言われる。私はあと20年は絶対に来ないと思っている。
ただ、ここ半年のAIの進化は目覚ましくて、半年前と今では雲泥の差がある。半年前のClaudeはここまで賢くなかった。今は失敗がほとんどないし、あっても自律的にチェックして自分で見つける。こうなると、次の半年後にどうなっているのか読めない。1年後、2年後はもっと読めない。
なのでAI本人と議論してみた。以下はその内容を私なりに整理したものだ。
能力の曲線と社会の曲線は別物
まず前提として面白かったのは、「AIに何ができるか」と「社会が人に何をさせ続けるか」は別のカーブを描く、という話だった。
AIの能力だけ見れば、知的作業の多くは数年で「AIが主、人が確認役」に反転してもおかしくない。実際、コードを書く仕事はもう入り口に立っている。でも「働かなくていい社会」までには、能力以外のボトルネックがいくつもある。
一つは物理世界。介護、建設、配管、物流の末端。ロボットも進化しているが、ソフトウェアと違ってコピーできない。ハードの製造と展開には物理的な時間とコストがかかる。ここは10年単位で残る。
二つは責任と制度。医師の診断、監査のサイン、契約。技術的にAIができても「誰が責任を取るか」の枠組みが変わらない限り、人がループに残り続ける。制度の変化は技術より一桁遅い。
三つが分配。「働かなくていい」が成立するには、AIが生んだ富が働かない人にも回る仕組みが必要で、これは技術問題ではなく政治問題だ。技術が完成しても、分配の合意形成には何十年もかかりうる。
つまり私の「20年は来ない」は、能力の予測としては保守的すぎるかもしれないが、社会の予測としては妥当らしい。
起きることは連鎖する
じゃあその移行期に何が起きるのか。バラバラの予言ではなく、連鎖として整理するとこうなる。
最初に壊れるのは雇用の入り口だ。新人に任せていた作業こそAIが最も得意なので、企業は新人を採らなくなる。すると「経験者しか採らないのに、経験を積む場所がない」という矛盾が生まれる。これはすでに米国の新卒エンジニア市場で観測されているらしい。
次に、その削減が企業自身に跳ね返る。全員が人件費を削ると、給料をもらって消費する人が減り、モノやサービスの買い手がいなくなる。個々の経営者にとって合理的な人員カットが、合成されると自分たちの売上を殺す。合成の誤謬というやつだ。
そこまで行って、ようやく政治が動く。歴史的に、格差がある閾値を超えると必ず再分配圧力が発生する。穏健ならAI課税や給付拡大、ベーシックインカムの議論。不穏ならポピュリズムと社会不安。産業革命のときは両方通った。
要するに、着地点は「富が集中しきった世界」ではなく、「集中して、軋轢が起きて、何らかの再分配に至る」というサイクルのどこかになる。問題はその移行期が10年単位で続くことだ。
日本は少し違う形になる
日本に限定すると、独特の展開になるという話も面白かった。
日本は解雇規制が強いので、正面からのレイオフではなく、希望退職、配置転換、新卒採用の絞り込み、定年後再雇用の縮小という「じわじわ減らす」形になる。さらに人手不足と高齢化が先に来ているので、AIによる削減は「失業の山」ではなく「補充しない」という形で吸収される部分が大きい。
つまり痛みが世代間で非対称になる。守られた正社員は逃げ切り、割を食うのは入り口を塞がれた若い世代と非正規。格差が「資本家対労働者」ではなく「守られた雇用対それ以外」という日本的な形で出る。
で、個人はどうするか
ここからは私の結論。
社会の再分配は、来るとしても遅い。だったら個人にできる一番堅い防衛は、稼ぐ力を磨き続けることではなく、働かなくても平気な状態を先に作ることだと思う。稼ぐ力はこれからずっとAIとの競争に晒されるが、資産と低い生活費は競争に晒されない。
言い換えると、社会全体の「働かなくていい時代」を待たずに、自前で小さく実装してしまう。国のベーシックインカムより先に、自分のベーシックインカムを作る。身も蓋もないが、移行期の10年、20年を挟まれる側で過ごさないためには、たぶんこれが正解の一つだ。
ちなみに「将来ずっとコードを書き続けなきゃいけないのか」と不安だった時期が私にはあるけど、今は辛い時にAIが代わりに書いてくれる。まさかこんな日が来るとは思わなかった。予測はどうせ外れる。外れても大丈夫な形を先に作っておく、というのがこの記事の結論でもある。