息子が1歳になったいま、この1年を振り返って最初に出てくるのは「よく生きていたな」という言葉です。
私は自営業で、妻と二人三脚で生計を立てています。会社員のような育休制度はありません。
息子が生まれてからの1ヶ月が、いちばんきつい時期でした。
昼間は妻が育児を担当し、私は仕事をする。夜は私が3時間おきの授乳を担当する。産後の妻を休ませたかったし、良い父親でありたいという気持ちもありました。
昼は仕事、夜は睡眠不足。初めての子育てということもあって、いま思えば過剰なほど完璧を目指していたと思います。その代償は、想像していたより大きいものでした。
「何も協力してくれない」と言われて
仕事をしながら、できる限り育児にも関わる日々。眠い目をこすってオムツを替え、ミルクを作り、あやし続ける。
これだけやっているのだから、自分は良い夫であり父親のはずだ。心のどこかでそう思っていました。
けれど、疲れ切った妻から毎日のように返ってきたのは、感謝ではなく 「あなたは何も協力してくれない」 という言葉でした。
これだけ睡眠を削って、仕事もして、育児もしているのに。
何もしていないと言われるなら、いっそ本当に何もしないほうがいいのではないか。そんな気持ちが渦巻いていた息子6ヶ月の頃、些細なことをきっかけに、私は妻に怒鳴ってしまいました。心も体も、もう限界だったのだと思います。
「言われたこと以外はしない」と決めた
怒鳴ったあと、冷静になって気づいたことがありました。
妻にとっては必要ではないことを、私は必死にやっていただけなのかもしれない。
そこで、こう伝えました。
「どんなことでも手伝うから、全部言ってほしい。その代わり、言われたこと以外はしない」
これは投げ出したのではなく、共倒れを避けるための線引きでした。頼まれたことには全力で応え、それ以外は基本的な家事にとどめる。
結果どうなったか。正直に書くと、妻の態度は変わりませんでした。 「何もしてくれない」という空気はいまも漂っていますし、家庭内が劇的に円滑になったわけでもありません。
ただ、私のストレスは大きく減りました。
何をすれば正解なのか、これをやったら怒られるだろうか、と顔色をうかがう思考が消えたからです。
評価は低いままかもしれない。それでも私は楽になった。この割り切りが、倒れずに済むための道でした。
行政の家事支援を使った
この線引きと同時に、もうひとつ手を打ちました。妻の意向を押し切って導入した 家事代行 です。
家事代行は高い、贅沢だ。そう思われるかもしれませんし、妻も最初は消極的でした。
ただ、私が住む 葛飾区には「育児支援家事援助(家事育児サポーター)」 という制度がありました。
これを使うと、かなり低い負担でヘルパーさんに来てもらえます。掃除、洗濯、料理。人の手を借りることで、物理的なタスクがそのまま消えます。反対していた妻も、実際に部屋が片づいて負担が減ると、納得してくれました。
実際に葛飾区の制度を使って依頼したときの体験談はこちらに書いています。
👉 [詳細記事] ベアーズの家事代行を毎週使っている。葛飾区の子育て支援と、言葉の壁への対処
もし今まさに育児で余裕がないなら、お住まいの自治体のサイトで「産後支援」「家事支援」と検索してみてください。 知られていないだけで、安く使える行政サービスがあることは多いです。
行政のサービスは条件が厳しかったり、すぐに予約が取れなかったりもします。その場合は民間の家事代行のお試しプランでもいい。自分を守るための出費を惜しむと、倒れてからでは間に合いません。
11ヶ月目にもう一度倒れて、働き方を変えた
負担を減らしたつもりでしたが、息子が11ヶ月になる頃、私はまた倒れました。1歳まであと少し、というところでした。
ただ、このときのダウンは必要なものだったと思っています。
布団の中で天井を見ながら、自分の限界と、これまでの仕事のやり方が通用しないことを認めざるを得ませんでした。
15年近く続けてきた、がむしゃらに働くスタイル。自分の成長が止まっていることに気づかないふりをして、忙しくすることで安心していた。このままでは息子を育て上げられないし、また必ず同じところに戻る。
そこで、仕事の仕方を大きく変えました。がむしゃらに量をこなす形から、穏やかに、しっかり進める形へ。これまでのやり方を一部壊したことで、ようやく別の方向に進み始めた感覚があります。
息子と歩く2度目の人生
息子がいなかったら、私はいまごろ、平坦なまま尻すぼみになる人生を送っていたと思います。
人は痛みや挫折がないと変われないのだと、この1年で痛感しました。
息子は無事に1歳になりました。まだ保育園には入っていませんし、これから動きも活発になって、仕事との両立はまた別の形で壁になるはずです。
それでも、以前の私とは違います。一度壊れて、組み直すことができました。
息子が最初の人生を歩き始めたところで、私は2度目の人生を歩いている。そんな感覚でいます。