息子が手術のため2週間ほど入院した。妻が付き添いで一緒に病院に泊まり、私は自宅に残って、差し入れと洗濯物の交換で通う役割だった。
病気のことや手術の内容は書かない。ここに書くのは、付き添えない側にまわった人間が何を考えて、何をしたかという話だ。同じ立場になる人がそれなりにいるはずなのに、この視点の情報はほとんど見つからなかったので、記録として残しておく。
入院が決まってから
最初に思ったのは「2週間ひとりで休める」だった。
普段は朝と夜の保育園の送り迎えを私が担当していて、仕事と家事と育児を回している。正直、疲れていた。だから入院の日程を聞いたとき、久しぶりにまとまった時間ができると考えた。日帰りでも一泊でもいいから、どこかに出かけようかとも思った。
その考えが変わったのは、入院の前日だった。
明日から息子が家にいない。それが実感として降りてきた瞬間に、休めるという気持ちはどこかへ行った。手術への不安と、単純に会えない寂しさが同時に来て、正直かなり参った。
いま振り返って思うのは、休みたいと思ったことと寂しくなったことは、どちらも本物だったということだ。人の気持ちは一貫していなくていい。そこで自分を責めなくてよかったと思う。
手術の日
手術中は待つしかない。この時間が本当に長い。
事前に聞いていた予定時間を超えたときは、何かあったのではないかと考えた。あとから知ったが、家族に伝えられる手術時間には麻酔の準備や術後の処置が含まれていないことが多く、予定より長くなるのは珍しくないらしい。何か問題があれば途中で連絡が入るので、呼ばれないというのはそれ自体が「想定内で進んでいる」という情報でもある。
待っている間は、仕事なり用事なりを入れて手を動かしているほうがいい。スマホを見て待っていると、時間が進まない。
差し入れという役割
私の主な仕事は、着替えの補充と洗濯物の回収、それと食べ物の差し入れだった。
これは想像以上に重要な役割だった。付き添い入院では、病院食が出るのは基本的に子どもの分だけで、付き添いの親は自分で調達することになる。院内のコンビニと自販機だけで2週間を過ごすのは、金銭的にも気分的にもきつい。
持って行ったもの。
- ケーキ
- 弁当
- パン
- おにぎり(私が握って持って行った)
平日は仕事があるので難しく、土日にまとめて持って行くことが多かった。特別に凝ったものである必要はなくて、「外から来たもの」であることに意味がある。病棟の中だけで完結しない時間が、少しでも入るのがいいらしい。
交代要員としての価値
差し入れよりも効いたのは、私が行った日に息子を見ていることだった。
その間、妻はゆっくり買い物に出たり、気分転換をしたりしていた。付き添い入院は、子どもから物理的に離れられない生活になる。数時間でも自由に動ける時間があると、コンディションがまったく違う。
差し入れを渡してすぐ帰るのではなく、「その間ゆっくりしてきていいよ」と言えるかどうか。ここが一番の仕事だったと思う。
交代してみて分かったこと
そして、実際に交代してみて分かったことがある。
病室で子どもの相手をするのは、あまりにも大変だった。
外に出られない。遊具も限られている。動き回りたい盛りの子どもを、限られた空間の中で機嫌よく保たせ続けなければならない。数時間でへとへとになった。
正直に書くと、その日の帰り道に思ったのは**「解放された」**だった。会えなくて寂しい、という気持ちよりも先にそれが来た。会いに行くたびに満足して帰るので、家で寂しさに沈む余裕がなかったとも言える。
そして同時に思ったのは、これを2週間ぶっ通しでやっている妻はすごい、ということだった。私は数時間で音を上げたことを、彼女は交代なしで続けていた。
付き添い入院の大変さは、外から見ているだけでは絶対に分からない。一度交代してみるべきだと思う。理解のためというより、単純に相手を休ませるために。
病院での過ごし方
入院中の子どもは暇だ。特に、うちの子はまだ小さくて、術後もそれなりに元気だったので、時間を潰す工夫が必要だった。
日本医科大学付属病院のキッズスペースはかなり充実していて、息子は大喜びだった。ただ利用できる時間が限られているので、それ以外の時間はこんなふうに過ごしていたそうだ。
- 病院の中を散歩する
- 自販機のボタンを押してジュースを買う(本人にとっては一大イベント)
- 折り紙で作られた花火の飾りを順番にタッチしていく
- 上の階から外の車を見る
- 他の入院患者さんやご家族と話す
- スマホやテレビを見る
大したことはしていないのだが、小さい子にとっては十分らしい。自販機のボタンを押すのが最強のコンテンツというのは、覚えておいて損はない。
なお、この病院への通院手段については別の記事にまとめている。差し入れで何度も往復することになるので、行き方を最初に固めておくと後が楽だ。
意外だったこと:家事がない生活
妻は入院の当初、わりと楽しそうだった。
家事をしなくていいから楽、と言っていた。普通は付き添い入院というと大変なものとして語られるのに、少なくとも最初のうちはそこまで苦しくなかったらしい。三食が出てきて、洗濯も掃除もない。育児だけに集中できる環境というのは、見方によっては負担が減る。
これは意外だった。付き添い入院を「ひたすら大変なもの」として身構えていたので、こういう側面があるとは思っていなかった。
もっとも、期間が長くなると別の消耗が出てくる。そこはまた別の話だ。
モバイルルーターは不要だった
入院が決まったとき、病室でのネット環境を心配してモバイルルーターの購入やレンタルを検討していた。
結論から言うと、まったく不要だった。
日本医科大学付属病院にはWi-Fiがあって、速くはないが安定してつながる。動画も普通に見られたし、通話も問題なかった。むしろ携帯回線(docomo)のほうが建物内で微妙だったくらいで、Wi-Fiがある分だけ院内のほうが快適という場面もあった。
いまの時代、大きな病院ならWi-Fiが整備されていることが多い。入院が決まってから慌ててルーターを買う必要はなくて、まず病院に「Wi-Fiはありますか」と聞くのが正解だと思う。私は買わずに済んだ。
始業と終業がなくなった
これが一番の誤算だった。
私はフリーランスで、自宅で仕事をしている。だから通勤も帰宅もない。それでも生活のリズムは保たれていた。理由は単純で、朝と夜の送り迎えがあったからだ。この時間までに家を出る、この時間には仕事を切り上げる、という強制力が一日に二回あった。
それがなくなった。
結果、無限に仕事をするようになった。区切りがないので、いつまでも続けてしまう。時間ができたはずなのに、気づくと疲労が溜まっていた。在宅で働いている人にとって、子どもの送り迎えは制約であると同時に、生活を支える構造でもあったのだと、なくなってから分かった。
もし同じ状況になる人がいたら、送り迎えの代わりになる時刻の決まった予定を、意識的に入れておいたほうがいいと思う。私は何も用意していなかったので、崩れるにまかせてしまった。
家事をやっていた
自由な時間があったら出かけようかと最初は考えていたが、実際にはそういう気分にはならなかった。
代わりにやっていたのは家事だ。普段の生活では手が回らずに溜まっていたものが、家中にあった。ボロボロになったまま使っていた備品を買い替えたり、止まったまま放置していたロボット掃除機を復帰させたり。そういう、いつかやろうと思って何年も先送りにしていたことを、少しずつ片付けていった。
これは結果的に良かった。手を動かしているうちは余計なことを考えないし、退院してきたときに家が整っている。子どもが帰ってくる場所を準備していると思えるので、ただの家事とは意味が違ってくる。
ビデオ通話はしなかった
毎晩ビデオ通話をしようかと考えたが、やめた。
やってみると、案外悲しくなる。画面の中に息子がいて、でも触れないし抱っこもできない。通話が終わったあとの部屋の静かさが際立つ。
なので、通話の代わりに頻繁に会いに行くことにした。実際に行けば会えるし、抱っこもできるし、何より役に立てる。距離の問題がない範囲なら、通話より訪問のほうが精神衛生上ずっといい。
猫がいてよかった
うちには猫が3匹いる。
普段、猫の世話は主に妻の担当だった。私もやってはいたが、毎日というほどではなかった。それが妻の不在中は全部こちらに回ってきて、初めて負担の実感が分かった。
ただ、面白いことも起きた。うちの猫は保護猫で、もともとそこまで人に懐くタイプではなかったのだが、餌をくれるのが私だと分かった途端に少し懐いてきた。分かりやすい。
この2週間で猫たちとの距離は明らかに縮まった。家に生き物がいるというのは思った以上に効く。家に一人きりではない、というだけで違う。
退院してみて
無事に退院した。長い2週間だった。
終わってみて思うのは、家に残る側にもちゃんと役割があるということだ。ただ待っているだけの立場に見えて、実際には差し入れと洗濯物と、何より付き添っている側を休ませることが仕事になる。
そして、事前に想像していた気持ちと、実際の気持ちはかなり違った。入院前日は寂しくてどうしようもなかったのに、始まってみると寂しさより疲労と家事と仕事の管理のほうが前に出てきた。会いに行けば行ったで、数時間で消耗して帰ってくる。
だから、これから同じ立場になる人に言えるのは、自分の気持ちがどう転ぶかは事前には分からないということだ。休めると思って寂しくなるかもしれないし、寂しいと思っていたのに解放感を覚えるかもしれない。どちらであっても、それは矛盾でも薄情でもない。そこだけは自分を責めないでほしいと思う。