以前のブログ記事で、「iPad Air 11インチを持つことは決して贅沢ではなく、必要なものだ」と書いたかと思います。
しかし、そこから少しずつ自分の中の価値観が変化し、ミニマリズムへの思考がより深まってきました。
結論から申し上げますと、今の私のライフスタイルには iPad すらも必要ないかもしれない と考え、手放すことにいたしました。
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きっかけは日常の小さな「ヒヤリ」から
手放すことを考え始めた最初のきっかけは、成長した息子の行動でした。
机の上で充電したままにしていた iPad のケーブルを息子が引っ張り、床に落下させてしまったのです。
幸いクッションの上に落ちたため無事でしたが、フローリングに直撃していれば一瞬で画面が割れていたでしょう。
ただ、この出来事で強く感じたのは、「高価なものが壊れてしまう」という金銭的な焦りよりも、「常にモノの安全を気にかけ、管理しなければならない」という 精神的な負担 でした。
「便利さ」と引き換えに抱えていたもの
iPad は、PC を開くほどではないけれど、スマートフォンよりは大きな画面で映像を楽しみたいという時に、とても便利なツールです。
しかし、手軽すぎるがゆえに、つい机の上にポンと出しっぱなしにしてしまいがちです。
バッテリーが減れば充電ケーブルを繋ぎ、子どもが近づけば慌てて遠ざけ、置き場所に気を揉む。
知らず知らずのうちに、一つのデバイスを維持し、管理することに心を砕いていました。
モノを減らし、身軽に生きたいと考えているはずなのに、気づけばモノに振り回されている自分に気がついたのです。
PCとスマートフォンがあれば、実は十分
「iPad が危ないなら、PC も同じではないか?」と思われるかもしれません。
しかし、私が普段使っている PC は、明確に役割が異なり、管理の仕方も違います。
PC は iPad に比べてバッテリーの持ちが良いため、常に充電ケーブルを繋ぎっぱなしにする必要がなく、引っ掛けられるリスクがありません。
また、取り扱いに少し手間がかかる分、「使わない時はパタンと閉じて、決まった場所に片付ける」という行動が自然と身についています。
用途が明確で、使わない時は視界から消える PC。
一方で、なんとなく常にそこにあって、常に気を遣わなければならない iPad。
この対比に気づいた時、自分にとって本当に必要なものは、スマートフォンと PC という、よりシンプルな構成なのだと確信しました。
iPadすらも持たない生活へ
今後は、以下のような 2 つのスタイルに絞って映像コンテンツなどを楽しんでいきます。
- 基本の視聴: スマートフォンで身軽に楽しむ
- しっかりとした視聴: 腰を据えて映画などを見たい時は PC を開く
かつては「あって当たり前」「あると豊かになる」と思っていた iPad ですが、それを手放すことで得られる「管理するモノが一つ減った」という身軽さは、今の私にとって非常に心地よいものです。
この先、iPad すら持たない生活がすっかり定着するかもしれません。
モノを手放した先にある新しい快適さを、しばらくじっくりと味わってみたいと思います。